『マイ・ラブ 日本篇 絹子と春平』Reflections
監督・戸田ひかる 「あなたが心惹かれる長年連れ添ったカップルを2ヶ月で探してください」 アメリカのプロデューサーにそんな無茶振りをされたのが2019年の年明け。シリーズとしての枠組みがすでに決まった後に、その趣旨に沿った出会いを求めるという初めての経験。まず先に出会いがあり、そこから彼らのことをもっと知りたい、魅せられる理由を探りたいと思って作品にすることはあっても、今回のように最初から決まった枠に当てはまりそうな人を探していくのはとても気が引けた。しかし与えられた条件は「50年以上一緒に暮らすカップル」ということだけで、その他は全てこちらの判断を尊重すると言う。更にドラマチックな演出や、ナレーション、インタビュー等を使わず、極力観察的な撮り方をするというシリーズの趣旨にも魅力を感じた。「これまでの人生で最大級レベルの出会いになるはず」と後押しされ、結局その後5ヶ月間、日本中を旅して回ることになった。 そうは言ってもNetflix。6カ国一挙公開というシリーズで制作期間も先に決まっている。撮影期間の約1年間の中で起こりうる出来事を事前に把握するための詳細な聞き取りや、カップルをNetflix側にプレゼンするためのキャスティングビデオの制作も必要だった。人生の先輩たちをこんな私が「キャスティング」する事自体がとても失礼だと感じた。無礼者の私はしかし、旅先で沢山の素敵な先輩方に出会った。それぞれに大切な物語があり、誰もが記録し残すべき時間を生きていた。しかし大抵は片思いで終わった。カメラで日常を追われたくない。静かな暮らしを邪魔されたくない。当然の反応だった。静かに生活を送る彼らにとって、カメラは異物でしかない。 リサーチ期間の再延長もついに限界を迎えていよいよ諦めかけていた頃、石山夫婦に出会った。リサーチ中に、ハンセン病療養所で強いられてきた断種や堕胎の結果、子供を産むことを許されず、二人家族として生きているご夫婦がいると知った。しかしハンセン病に関して無知な私が扱える「テーマ」ではない、と後退りをし一旦白紙にした。その矢先、偶然が重なり石山さん夫妻を全く違う複数のルートで紹介された。早速電話をすると明るい声が迎えてくれ、次の日にはもうご自宅に伺っていた。私はすぐに二人の暖かさに惹かれた。後から思うと、初対面の私の前で繰り広げられる夫婦漫才も、過去の話も、撮りためた写真も、彼らにとってはいまだからこそ見せてくれた一面だった。 「ハンセン病について大きな声で話せるようになったのはつい最近のこと」となれ初めを語り終わった絹子さんは教えてくれた。カメラをいつも首にぶら下げていた春平青年の暗室作業を手伝ったのがきっかけで「火がついちゃった」二人は、共に生きる時間を写真で切り取ってきた(療養所で撮られた多くの写真は社会復帰する際、誰にも見せることはないだろうと処分された)。そして絹子さんは「生活記録」として日々の気持ちや風景を短歌に詠み、手帳に毎日の出来事をしっかりした字で細かく記録していた。おじいちゃんおばあちゃんの家を訪れた孫のようにくつろいでしまっていた私だったが、記録者であり、表現者である二人の「いま」を是非記録したいと心に決めた。 二人を撮影させて欲しいとお願いし、そして次に、自分たちの生活が記録され人に見てもらうという事は二人にとってどういう意味を持つのかと尋ねた。「99.9%は覚悟がついてるのよ。私たちは何も悪い事してない。普通の人だと知ってもらいたい」と絹子さんは答えた。彼女の「覚悟」という言葉も、0.01%も重く響いたが、私はその瞬間、運命の出会いに浮かれた。帰りの電車の中から早速「見つかりました!」と編集者に電話した。 それから10ヶ月、カメラと録音と一緒に三人で毎月ご自宅に通い、二人の生活にカメラとマイクが入り込む日々が始まった。「普段通りに、私たちを無視してください」と無理を言う我々に合わせ、一生懸命自分を演じてくれた。春平さんは常にカメラ目線で、撮影よりも気さくに若者と話すことを楽しんでいるようだった。絹子さんは最初からカメラの存在を全く意識させない演技で、まさに彼女の言う「覚悟」が感じられた。カメラ位置を常に意識し、自然に振舞うベテラン女優のようだった。いつまでもカメラを意識してしまう春平さんに「そんなこと言っちゃダメよ」とこっそり演出さえしてくれた。しかし一見自然体でありながら、一瞬ちらりとカメラに目線を向ける瞬間を発見する度、緊張した時間を彼女に相当強いてしまっていたと、編集をしながら反省した。 長年目立たないように生きてきた春平さんと絹子さんは「見られる」事に対して対照的だ。春平さんは、優しかった小学校の先生が春平少年が感染していることを知ると一変し、学校から追い出したエピソードを繰り返し大勢が集まる講演会で声を詰まらせながら話す。絹子さんは夫の病気が話題にのぼるのを恐れ、深い人間関係を避けてきたこともあり、人一倍人の視線に敏感だ。春平さんが「見られること」で「生き延びてきた過去」が認識されるように、絹子さんは「見られる度」に0.01%の覚悟しきれない、演じきれない部分を消化されない感覚として味わっているのではないか。 「俺みたいに”一度死んだ”人間には怖いものなんかないよ。俺よりもむしろ、家族の方が大変だよ」と春平さんは何度も語った。ハンセン病元患者家族国賠訴訟の原告561名の内、数名しか実名を公表していない事だけをとっても、今だ声を上げられないでいる家族の人たちが全国に大勢いることが分かる。裁判で勝利した後でさえ、それまで撮影に全面的に協力してくれていた原告の一人は、ハンセン病との関わりを断ち新しい人生を歩みたいという理由で撮影素材の使用許可を出さなかった。 「見られる側」の覚悟が足りないのではなく、カメラを通して、画面を通じて、そして日常の中での「見る側」の視線が問われていると感じた。絹子さんが土に腰を下ろし小さな花をじっくり見るような、春平さんがカメラの裏側にいる私たちに微笑みかけてくれるような、そういう視線を持ちたいと思った。そして、二人が丁寧に毎日を生きている姿を観る人が、彼らの語りきれない過去や実名を出せないままでいる人たちの現状と、いまを生きる我々が繋がっている事に気付いて欲しい。 撮影も終盤を迎えた2020年1月、新型コロナウイルスによって世界中が「見えない敵」にさらされた。日本ではコロナ感染者の方や医療従事者、その家族に対する差別などハンセン病の歴史を彷彿させる現状が今なお続く。欧米では「中国ウイルス」との政治家の誤った主張からアジア人差別による被害が後を絶たない。このシリーズを観た人が、国境と境界を超えて「共に生きる」ことについて思いを馳せることを願っている。 監督:戸田ひかる(とだ・ひかる) 10歳からオランダで育つ。ユトレヒト大学で社会心理学、ロンドン大学大学院で映像人類学・パフォーマンスアートを学ぶ。ロンドンを拠点にディレクターとエスノグラファーとして活動し世界各国で映像を制作。前作『愛と法』(17)で第30回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門 作品賞、第42回香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。現在は大阪在住。